今日は、うちの母の母……つまりおばあちゃんのお見舞いに行ってきました。
肺に水がたまる病気らしく、ちょうど私が退院したのと入れ違いになる形で入院しているのですが、もうかれこれ6年ほど会えていません。
実家にもしばらく帰れていないのですが、仕事が休日とか関係ない仕事なので全く会っていませんでした。
お昼を済ませてから姉と電車で病院がある市へと向かうと、叔母が母を連れて車で迎えに来てくれていました。
駅から近い病院だとは聞いていましたが、まだ杖ありで歩いているのですごくありがたかったです。
病室についてまず驚いたのは部屋がかなり大きかったこと。
トイレとお風呂、コンロまでついてる!?
特別室らしいです。あわわ。
しばらく会えていなかったので、祖母はすごく喜んでくれました。
たまたま、母の兄と妹が二人、見舞いと付き添いに来ていたので、病室は総勢7人。
とても賑やかなひと時でしたw
私が何かを言うたびに必ず誰かがクスクス笑うので、祖母がこう言いました。
「本当に○○ちゃんは面白い子じゃねえ」
「お姉ちゃんも、あんたら二人はほんとに楽しい子らじゃ」
その日の夜、母から電話がありました。
「あんなにみんなで笑ったのは久しぶりだったわ」
これから先のことも踏まえて、顔を合わせるといつも難しい顔で大事な話をしているそうです。
そして、その話をすると祖母はいつもむくれて黙り込んでしまう。
恐らく、返事を出したくないのだと思います。
今祖母が住んでいるところは、山の中で救急車もすぐに来れない集落にあり、
退院が出来るようならどこか別の場所で……と皆は考えているのですが
祖母はきっと生まれ育った地を離れたくないのだと思います。
いつか決めなければならないこととはいえ、今の祖母にその選択を迫るのは酷かもしれません。
そんな中で、私達が見舞いに来ることでお婆ちゃんも楽しかったと言っていたそうです。
それを聞いてふと私の頭によぎったことがあります。
小さい頃から、私は何故か年配の人ばかりから好かれる子供でした。
不器量ゆえか、あまり年下の従姉妹達からは懐かれず……
私の姉を皆がおねえちゃんと言って慕っていたことを覚えていますw
なぜ、私が今も見知らぬ老人に声をかけられたり、おばちゃんやおじさんにばかり気に入られるのか……
その理由を、本当は小さい頃から分かっていたような気がします。
それはたぶん、『よく笑う』から。
学校とかでも道化師的な立場にいたせいか、なんでもかんでもお笑いになってしまうんですよねw
その性分で恋愛に発展しない……というデメリットはあるかもしれませんが、
こちらが微笑めばあちらは大抵それを返してくれる。
接客業をやっている上でも、大切なことだと思います。
と、そういう話を姉としている途中で姉がこう言いました。
「それはね、お母さんがそういう人だったから、よく笑う家だったからよ。感謝しなさい!」
そういえばそうかもしれません。
微妙な家庭内問題が起こっている従姉妹達と違って、うちも昔はいろいろありましたが割と今は平和で仲もそこそこ。
……まあ、うちだけ孫は居ませんが……w
それでもやはり、そういうものは受け継がれるものなんだな、と思いました。
お母さんがそういう人間であったことを、感謝したいですね。